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BS1 プラムタイム 2003年5月30日放送
激動巨大都市 ベルリン 東西統一 13年目の苦境
50分
<内容紹介>
第二次世界大戦後、ドイツの西はアメリカ・イギリス・フランスの管理下に、東はソ連の管理下におかれた。その後、1989年11月9日、ベルリンの壁は崩壊し、それから一年足らずの1990年10月3日に統一した。
当時、人々は壁の崩壊に喜び、明るい未来に希望を抱いていた。しかし、統一から13年、ベルリンでは雇用が大幅に悪化し、景気の低迷も拍車をかけ、街は厳しい不況に見舞われた。ドイツの失業率は、4月に統一後最悪の11%を記録し、ベルリンでは18%を越えた。
旧東ベルリン校外のマーツァーン・ヘラスドーフ区は、高層団地が立ち並ぶ市内有数の住宅地だ。ここでは統一後、住民の減少が続いている。失業が深刻なベルリンを離れ、職のある豊かな地域へと引っ越す人があとを断たないのだ。
統一は、東側が西側に編入される形で行われ、西側の法律や市場経済は、そのまま東側に導入されることになった。大手電機メーカーのSIE MENS社は、東ベルリンにある工場を買収し、まず、従業員の食堂や託児所など、福利厚生施設の部門を廃止することで従業員の半数を解雇した。
マーツァーンに住むペトラ・エルスナーさんは、1月に勤めていた公民館を解雇された。元警察官の夫、アルミンさんは、95年に人員削減のために職を失い、半年前に福祉団体に採用されるまでの長い間、失業していた。息子のフランクさんは、大工としての教育を受けたが、景気が悪く職がため就職できなかった。
旧東ドイツの人にとって、失業とは考えられないことだった。そのため、経済的な負担とともに、西側の人とは違った喪失感も味わうことになった。統一前、社会主義であった旧東ドイツでは労働に最大の価値が置かれた。完全雇用が保障され、全ての人に仕事が与えられていた。女性も90%以上が仕事を持ち、夫から経済的に自立しているのが当然であった。キャリアを積んで、仕事でも評価されることを生きがいとしていた。そんな彼らが職を失うということは、こうした人生観を失うということだった。
統一後のドイツには、統一前に東ドイツ政府が不当に没収した財産の問題も生じた。この財産は返還するという制度が作られ、ベルリン市役所の一室は、返還の申請書で埋め尽くされている。請求はベルリンだけで32万件。返還の対象となるものは、土地、家屋、株、貴金属等すべての財産だ。
返還は、現所有者が正当に旧東ドイツ政府から買った場合、その所有は認められ、旧所有者には新政府から保証金が支払われる。また、現所有者が不正に収得した場合は、財産その物が返還されることになっている。返還請求は、旧東ベルリンの土地の75%について出されており、そのうち3割の返還が認められている。
<一口感想>
旧東ベルリンには、統一後に不安や悩みを抱えた旧東ドイツの女性たちを支援するために集会所が開かれた。映像にでてくるイーネス・ライトヘルさんは、ここに通って4年だ。スーパーで働いていたが統一後に解雇され、夫とも離婚をし、生活の基盤を失って孤独と無力感に悩まされていたと言う。そんな彼女も、ここに通うことで前向きになっていく。そんな映像を見ながら感じたことは、同じ境遇の市民が互いに助け合っていくことの大切さだ。そして、そのための場所が作られることの重要性も同時に強く感じた。(玉野)
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