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異文化理解最終レポート
アメリカの現在を考える
後藤智子
教育学部生涯教育課程3年1011021516
1.
はじめに
1年の後期に「多文化コミュニケーション」を受けて、衝撃を受け、国際理解に対する考えが変わってから、約2年が経ち、先生の講義を受けさせていただいて、少しずつ偏っていた考えから正面を向けるようになってきましたが、新しく本を読んだり、映像を見たりすると、知らないことや勝手に理解していたところがたくさん出てきて、国際理解の難しさを感じるばかりです。「国際理解」自体も、文化を知ることや、歴史、政治、経済など、たくさんの面があり、私にとっては、何を中心に考えるのかを決めることさえ難しいことであります。しかし、それでも、本屋に行けば気になるものがいくつも見つかったり(難しそうなものにはしり込みしてしまいますが)、情報を得るときには、それを絶対的な真実だと思わなくなったりしたことは私にとって大きな成長です。今後は、より、物事を正しく捉えられる能力、疑問を見つける能力、さらにはさまざまな情報を得る能力などを身に付けられるようになっていきたいです。
今期のまとめのレポートとしては、何をテーマにするかを絞れず、迷いましたが、講義の中間レポートの課題として読んだ「アホでマヌケなアメリカ白人」とも関連させて、「アメリカ」を中心に書いていきたいと思います。
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2.
だからアメリカは嫌われる
「アホでマヌケなアメリカ白人」を読んだとき、アメリカの中に、こんなにも堂々とアメリカの大統領や政治家を批判できる人がいるのか、ということにとても驚きました。マイケル・ムーアの言葉は少しふざけた印象を与えることもあるけれど、今まで知らなかったさまざまな問題を教えてくれました。アメリカという国をアメリカ人として伝え、その内容は、日本で単にニュースを見ているだけでは知り得なかったものです。アメリカの中で、このような問題に目を向けている人は、彼のような報道人や知識人だけではない、ということは、この本がアメリカでもベストセラーになったことからもわかります。しかし、アメリカでは、このような事実が伝わりにくくなっているのかもしれません。アメリカの政策に批判的な態度を示したことで、苦しい立場に立たされてしまうという状態では無理もないかもしれませんが。
最終レポートを書くにあたっては、まず、同じようにアメリカ人ジャーナリストの書いた物で「だからアメリカは嫌われる(英題:Why America
Fascinates and Infuriates the World)」という本を読むことにしました。その理由は、ムーアの本との比較がしたかったことと、アメリカという国を知るたびに、アメリカに対するマイナスイメージばかりが膨らんでしまったのを修正したいと思ったからです。著者、マーク・ハーツガードは、アメリカは、世界の人々から魅力的だと思われていると同時に、嫌われている、そのことをアメリカ人こそが知るべきだといっていおり、アメリカの直面するさまざまな問題を指摘しています。気になった点や疑問点をすべて挙げていくと終わりそうにないので、いくつかをピックアップしたいと思います。
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2−1 世界を知らないアメリカ
アメリカは、世界の人々にどう思われているのか、世界中を旅行した著者は、アメリカに対し、良い面と悪い面の両面を見るだけの見識を持った多くの外国人に出会い、アメリカ人こそが、そのような大局観が必要だと言っています。「アメリカ人は世界を知らない」けれど、世界にとってアメリカは「未来」であるということを考えると、例えは変ですが、アイドルと一般のファンたちのようなイメージが浮かびました。良くなるにも悪くなるにも、その影響力は大きいと思います。それを自覚して、アメリカには世界によい影響を与えて欲しいものです。
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2−2 豊かさが犠牲にしたもの
アメリカの経済的な豊かさは否定できないと思いますが、アメリカ人は、世界のほかの大多数の国民がいかに貧しいかを認識していないといいます。といっても、日本人もそうかもしれません。人類のおよそ5人に1人は一日一ドルで生活しているそうです。当然、飢えと病気が広がり、毎日3万5600人の子供が飢餓状態で、各種の病気にむしばまれて死んでいるといいます。「一日一ドル」この数字を見ただけで自分がいかに恵まれているかわかります。「世界がもし100人の村だったら」という本を見たときもそうですが、世界における自分の位置が、どれだけ恵まれているかを感じずに入られません。普通に、日本で暮らしている限りでは、決して思わないのですが、忘れてはならないことだと思います。
アメリカ経済の発展は、テレビのコマーシャルは、人々の物欲を刺激するばかりで、生活に快楽をもたらす商品が激増し、マーケティング調査も激増した。そしてアメリカ人は、市民というより消費者とみなされるようになった、ということに対しても、日本も同じような道をたどっているように思えてきます。必要以上に何かを求めようとしているように思えてきます。
また、アメリカのこうしたコンシューマリズムが地球全体に及ぼす影響はわらいごとではないといいます。アメリカは地球の人口の5%で、人類が犯した環境汚染の約25%の責任を負っているそうです。人類が作り出した環境問題とは、木材や鉱物などの資源を消費し、熱帯雨林や湿地や絶滅危惧種を壊滅状態にし、水道水を汚染するダイオキシンや、地球の気候変動を推し進める二酸化炭素などの有害物質の産出などです。アメリカが環境問題にあまり積極的でないのは、これまで読んできた本の中にも書かれてあるのでよくわかります。このまま、環境を汚しつづければ、確実にアメリカにも影響が来ると思います。それだけでなくても、アメリカは、軍事攻撃などで、地球を壊しているわけですし、それをアメリカに訴える力がないということは、やはり、国際社会がアメリカ主体になっているからなのでしょうか。
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2−3 本当に自由の国なのか
この勉強をはじめるまで、アメリカは「自由の国」で、もちろん言いたいことが言えないなんてことはないと思っていました。しかし9.11後には、それが大きく変わったといいます。言いたいことを言ったために、周りから非難されることになってしまった、という例も映像で知ることができました。本当に、どこかおかしいと思います。2001年10月、「アメリカ合衆国パトリオット法」が定められました。市民権を持たない「非市民」の人身保護権を反故にし、国民の家宅を本人の通告無く捜索することを許し、政府の通信傍受の権限を、電話、インターネット、銀行、クレジットカード記録にも政府がアクセスできるようにしました。さらに、CIAに国民を見張る権利を与え、司法長官には国内集団をテロ組織に指定する裁量を与え、捜査令状を得るための法的な敷居を低くしました。
この結果、1000人以上の非市民の権利を侵害することとなりました。これは映像「強制収容」でみたもののとおりです。映像に出てきた、人達のように、永住権が無いというだけで、あやしいと言われただけで、強制収容、強制送還されてしまった人達がどれだけいるのでしょうか。なぜ、アメリカ国民はこれを許すのでしょう。疑心暗鬼になってしまう気持ちもわからないではないですが、どう考えたってフェアじゃありません。こういった事実を、もっとニュースで流すなどして、知らせるべきだと思います。「自由の国」であるのなら、なおさらです。このことについて、アメリカ国民がどう思っているのか、知りたいと思いました。
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2−4 アメリカ「帝国」がしてきたこと
9.11の事件以来、アメリカでは、イスラム世界に対して、「なぜ彼らはわれわれを憎むのか」という疑問が持たれていて、アメリカが世界中に「敵」をつくっていることを知らないといいます。これは、アメリカが他国に対して行ったさまざまな「行為」を一般に伝えられることが少ないことに関係していると思います。アメリカが行った行為について、ここでもいくつか記されていましたが、チョムスキーの本の中でも取り上げられているのであげませんが、ここで思ったことは、では、日本はどうなのだろうか、ということです。
日本は、アメリカほど強い力や影響力を持っていないと思うし、世界中が日本のことを知っているとも思いませんが、例えば、中国や韓国、北朝鮮ではどう捉えられているのでしょうか。私が知り合った韓国人や中国人は、友好的な人が多かったですが、そればかりではないと思います。私は、こうして国際関係の分野を勉強しいていて、気になっているのが、この日本とアジアの関係です。アメリカのことについても気になることばかりで、なかなか手がつけられないでいる状態です。講義の最後に、在日コリアンについての映像を見させていただいきましたが、在日コリアンが民族性や人権などで苦しんでいることがわかり、共に日本で暮らしている者として、考えるべきことは多いと思いました。歴史的なことや、現状を何もわかっていないと思うので、このことは徐々にでも、学んでいきたいと思います。
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2−5 堕落したメディア
人々が情報を得るにあたって、メディアは大きな影響力を持っています。私自身、テレビのニュースは絶対だと思っていましたし、ニュースは客観的な立場であるのが当然だと思っていました。しかし、ニュースはどれをとっても「同じ」情報で、ひとつの事件を煽るかのように繰り返し伝えます。それでもニュースは客観的だと思いこんでいたために、必然的にその情報が全てだと思わされてしまっているということに気付きました。ニュースや情報から、事実を取り出し、自分なりの解釈や意見を持つことをするべきだと思います。
ここでは、アメリカのメディアの問題を知ることができました。今までにも、資料の映像などで、個人的な批判がされたり、事実を歪められていたりすることを知り、情報のあり方について考えさせられましたが、この章も興味深いものでした。
「アメリカの報道機関は、国を支配している政治制度、その根本にある前提と力関係、底から生まれる経済政策や外交政策を指示している」といいます。アメリカは「自由主義の国」という印象が強いのですが、実際は到底ありえないのだと批判しています。アメリカのメディア・システムを支配しているのは一握りのグローバル複合企業であり、これらが反体制派になることは考えられないというのです。確かに、企業は利益を追求するものだし、メディアも資本が無ければ成りたたないわけですが、人々に影響を与えるメディアが、様々なものから離れた中立の立場にあるものであって欲しいと思ってしまいます。
9・11の事件の前にもテロの情報を得ていたが、報道しなかったともいわれているし、アフガニスタンへの攻撃で民間人犠牲者がでたことを本気で否定したというメディアに対し、アメリカの一般の国民はどう理解しているのか、とても興味があることです。メディアの伝えることを無条件で受け入れているひとばかりではないとは思いますが、政府に都合のいい情報ばかりを、あたかもそれだけが真実のように伝えられた場合、すっかり信じ込んでしまうかもしれません。メディアの危険性がもっと問われてもいいのではないかと感じました。
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2−6 行きすぎた「ドル」信仰
アメリカのドルは1944年に基軸通貨となって以来、世界中にゆきわたっています。ある国では、自国の通貨よりも、ドルの方が優遇されると聞いたことがあります。アメリカが世界を動かしているといわれるひとつの理由だと思います。アメリカが経済大国となったのは、ヨーロッパに比べビジネスが重要になり、尊重されるようになったからだという。さまざまな発明をし、テクノロジーをつくりあげ現代文明の質を変えてしまったのです。
アメリカのつくりだしたテクノロジーは日本にもたくさん影響しています。それにより、生活は便利になったし、いつでも世界中の情報を得ることができ、こうして、学ぶこともできるわけだけれど、一方で、日々情報や時間に追われている感じがして、「豊かさ」とはなんなのだろうか、と時々思います。オーストラリアで、日本ほど進んではいなくても、人がおおらかに生活しているのを見たとき、科学技術は必要だと思うけれど、それだけではないのではないか、と思わされました。あるひとは、アメリカが大国としているのも終わりに近づいているといいます(覇権国循環論)。実際、今後どうなっていくかはわかりませんが、当分は自分の中で矛盾を感じていくことになりそうです。
アメリカでは、宗教が非常に重要だという文面を見て、今までもアメリカを調べていく中で、アメリカこそキリスト教原理主義の国だといわれていることがあったので、本当にそうなのだろうか、と疑問に思いました。なぜなら、私の目では、あまり宗教的な部分を見たことが無いからです。
このことについてインターネットを見てみると、アメリカが宗教的国家ということについてのサイトが思っていたよりたくさんありました。日本において、このことが認識されていない理由について、日本に報道されるアメリカについての情報には、これまで偏りがあり、アメリカには草の根のアメリカ、地方都市のアメリカ、反連邦主義的アメリカ、宗教的アメリカが存在していることに、ほとんど注意が払われてこなかったといいます。なぜこのようになったのかはわかりませんが、アメリカで宗教の役割が過小評価されているのは、この国の知識層の大半が、世俗的な世界観を好んでいるからだと考えられていることと同様、日本でも宗教的な価値観が高くないことにあるのかもしれません。
アメリカは人類史上、最初に政教分離を憲法に明記した国家です。独立直後の1791年、アメリカ合衆国は2年前に制定された合衆国憲法に、第1条から第10条までの憲法修正条項を書き加えました。基本的人権について述べられた、「権利の章典」です。その第1条の前半部分に政教分離と信教の自由が記されており、連邦議会は国教を定めるための、また宗教の自由な活動を禁止するための、いかなる法律も制定することはありません。しかし、テロ攻撃の3日後、ワシントン大聖堂において大統領主催の追悼礼拝が行われました。ワシントン大聖堂は国立の大聖堂ではなく、聖公会というプロテスタントの一教派に所属する教会です。いったい政教分離の問題はどうなっているのでしょうか。
アメリカにおける宗教のあり方の特徴は、私的領域だけでなく、公的領域においても、宗教が大きな影響力を持っていることです。アメリカにおける政教分離は、日本やフランスのような政治と宗教との厳格な分離ではなく、政府を含む公的機関と特定の宗教組織との分離であるといいます。つまり、公的機関が特定の宗教組織に便宜を図ることは禁止されていますが、特定の宗教組織と直接関係のない、大多数のアメリカ国民によって受け入れられると思われる、いわばアメリカ国民にとっての「最大公約数的」宗教が、アメリカの公的領域において一定の役割をはたすことについては、アメリカは伝統的にこれを是認してきているということになります。あるひとは、政治でのこのような宗教的なものを「見えざる国教」と呼びます。
聖公会という特定の宗教組織に所属する大聖堂で、大統領主催の国家行事を行うことは、憲法修正第一条の国教樹立禁止の原則に明らかに違反していますが、それを承知のうえでこれを実施したのは、戦時下においては、政教分離の原則を犯しても、国家統合を優先させることを世論は支持してくれると予測してのことであると考えられています。その後、これを問題にする動きは出ていないそうです。
このような、19世紀末までのアメリカは、「プロテスタント国家」でしたが、1960年の大統領選挙で、カトリック教徒としてはじめてJ・F・ケネディが選出されたことが示すように、そのころまでにアメリカは「プロテスタント国家」から、カトリックとユダヤ教を含む「ユダヤ・キリスト教的伝統」を「見えざる国教」とする国家へと変化していたといいます。今日、アメリカにおいて「神」が意味するところは、聖書の「神」であり、具体的には、プロテスタント、カトリック、ギリシア正教、ユダヤ教、モルモン教の「神」であると考えます。アメリカ国民のうち、「ユダヤ・キリスト教的伝統」の宗教を信仰していると答える人は、全人口のほぼ90%である。残りの10%に属しているアメリカ国民のなかには、仏教徒のアメリカ人、イスラム教徒のアメリカ人などが含まれています。
さて、アメリカが原理主義だと言われることについても考えたいと思います。原理主義というのは、聖書に書かれた言葉を神の預言と捉え、一言一句実現することを自分たちの義務だと考える宗派であるとします。このように原理主義者は、信仰理解において保守的な人びとです。しかし原理主義者は、ただ個人的レベルでの信仰理解において保守的であるだけでなく、自分たちの保守的価値観を現実の政治において実現しようとする人びとでもあります。原理主義の特徴は、疑いを持たない自己肯定と自己絶対化です。これはあらゆる宗教に見られる一つのあり方ですが、宗教には自己絶対化へと進む傾向とならんで、宗教本来の自己超越的あり方への可能性が併存しています。
原理主義者に対してリベラル派というものがあります。十戒の第一戒である「わたしをおいてほかに神があってはならない」に対する解釈を例にとって、この二つを比べてみると、原理主義的な理解の仕方は、自分たちの「神」のみが絶対であり、それ以外の神を信じるものは真理から逸脱しているというものです。一方、リベラル派は、「絶対なるもの」は「神」のみであり、その「神」を信じる宗教も、宗教理念も、国家も、国家理念も、すべては絶対的ではないというものです。
アメリカでの原理主義者は、80年代に豊富な資金力や集票力を根拠に共和党に浸透し、レーガン政権以降の閣内で重要ポストを得てきており、父ブッシュ政権時代のクエール副大統領や、現在のアシュクロフト司法長官がその代表者だといいます。現在はラムズフェルド国防長官ら軍需産業組と並んで最右派を形成し、中東政策などに親イスラエル・アラブ敵視の強い影響力を持っています。政権内部での工作と連動して、キリスト教右派勢力の民兵組織による反戦活動家や人権活動家への暗殺・誘拐・脅迫や、有色人種への暴力も拡大しているそうです。
これらのことを考えると、アメリカがあれほど他国に対して強気なのは、アメリカにある原理主義的な考え方によるものかもしれません。自分の国を「絶対」だと思っているから、アメリカに従わない国は「敵」になり、攻撃しても良いことになってしまうのでしょうか。そうだとしたら、アメリカがイスラムの原理主義と対立することも避けられなかったことも当然といえます。他国との「違い」を受け入れて世界を平和にしようという考えも生まれることはないのかもしれません。宗教が、人間の心に根付くものであるだけに、とても難しい問題であるように思いました。
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2−7 失われたアメリカン・ドリーム
アメリカは歴史的に見て移民の国であり、現在もアジアやラテンアメリカからの移民による人口増加が続いています。とくに80年代には、合法、非合法を含め1,000万人以上の移民が定住したといわれています。社会的安定、経済的豊かさ、様々な夢を胸に多くの移民が、多種多様な文化的背景を持ってアメリカにやってきました。アメリカの歴史はまさに移民の歴史で、慎ましい出発から大いなる成功へが彼らの夢であり、それこそがアメリカン・ドリームなのだといいます。この言葉には、希望に満ちた明るい印象を感じます。しかし、現在のアメリカは夢を叶える場ではないようです。
アメリカでは、経済的不平等が広がっているといいます。これは、市場の力を他の全ての社会的価値より優先させた公共政策の直接の結果でした。この不平等を減らすためには、アメリカ中を支配している市場原理主義に立ち向かわなければならず、これこそが、アメリカン・ドリームを再び現実のものにするといいます。しかし、例え、この市場主義が長く続かないとしても、市場を支配している人々が、自分の不利益になることをするとは思えないので、難しい問題なのではないかと思いました。
アメリカン・ドリームについて調べてみると、著者のアメリカン・ドリームに対する考えとは別の捉え方があることがわかりました。
アメリカは移民国家として形成されたものであるから、共通の民族意識を持つことのできない、「共通の過去」を持たない国家であるという考えがあります。「共通の過去」によって国家統合のできないアメリカは、「共通の未来」によって国家統合を行う以外に統合の方法はないといいます。この場合、アメリカにとっての「共通の未来」こそが、「アメリカン・ドリーム」であると考えられています。「アメリカン・ドリーム」には二つの種類があり、1つは個人的領域における夢であり、いわゆる成功の夢です。子供は親の世代よりも豊かになることができるということ、そして、すべての人には経済的成功の機会が保障されているということが、移民からなる多様なアメリカを統合する力になってきました。
もう1つの「アメリカン・ドリーム」は、国家としての夢、あるいは社会的領域における夢であるといいます。それは、1963年、公民権運動がクライマックスを迎えた「ワシントン大行進」の最後に、ワシントンのリンカーン記念堂の前で、キング牧師が行った演説「I have a dream」において語られた「アメリカン・ドリーム」です。キング牧師はこの演説のなかで、アフリカ系アメリカ人にとっての夢は「アメリカの夢に深く根ざした夢である」と語っています。
では、キング牧師が語った「アメリカン・ドリーム」、あるいは、アメリカにとっての「共通の未来」としての理念とは何であったのでしょうか。
アメリカ史において、アメリカ人が「父祖」と呼んで尊敬している集団が二つあります。一つは「巡礼父祖」であり、もう一つは「建国父祖」です。「巡礼父祖」とは、ピューリタンたちであり、「建国父祖」とは、「独立宣言」に署名した独立革命の指導者たちです。この二つの父祖たちによって代表されている思想と理念が、アメリカにとっての国家理念であり、「共通の未来」であると考えられます。
「巡礼父祖」に代表される思想とは、聖書とキリスト教の思想です。ニュー・イングランドにやってきたピューリタンたちは、ピューリタニズムというキリスト教思想にもとづいた社会の建設を夢見て、それを実現しようとしました。今日にいたるまで継承されてきている「巡礼父祖」の影響は、自分たちの国家を「神」との関係で理解しようとする伝統です。
独立革命の指導者である「建国父祖」たちの思想は、これとは異なり、啓蒙主義思想でした。しかし、指導者のレベルではなく、実際に革命を戦い、民衆の心をとらえていた思想は、「巡礼父祖」と同様の聖書とキリスト教でした。啓蒙主義の理念や理想を、聖書的・キリスト教的概念と用語によって表現することによって、革命の意味と目的を明らかにし、革命の指導者たちと民衆が協力して革命を戦ったのです。そのような意味において、アメリカ革命は「親宗教的革命」ともいうべき革命であり、その伝統は建国以来、今日まで引き継がれています。独立革命以来、国家としてのアメリカが目指すべき理想としての「共通の未来」は、「巡礼父祖」たちのピューリタンとしての理想ではなく、「建国父祖」たちの啓蒙主義思想の理想でした。キング牧師の「I have a dream」の演説が、牧師であったキングのキリスト教信仰の表明ではなく、アメリカにとっての「共通の未来」である、基本的人権という啓蒙主義思想の理想についての演説であったと考えられています。
このことについては、そう捉えない人もいるでしょうし、私にも確かだとはいえませんが、このような考え方もあるのだということがわかり、ひとつの言葉でも、奥深いものがあると改めて感じました。
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2−8 アメリカ民主主義の悲喜劇
この章では、アメリカの大統領選挙について述べられています。ムーアの本の中で、大統領選がいかに不正だったかを知り、冗談かと思ってしまうほどでしたが、ここでも記されているということは、やはり本当なのだと思います。ムーアの本の中では、どのようにして不正だったかということが詳しく示されていましたが、この本では、また、違う点も示しているので興味深いです。
この選挙が示していることは、アメリカでは実際に有権者の選択の自由が抑えつけられており、メディアが国民に供給する情報も乏しい。選挙の手続が、現職の政治家や裕福な財政家という堅固な支配階級によって厳しく統制されているし、アメリカ人が実践している民主主義は、一貫性がない、ということだといいます。また、ほとんどのアメリカ人が、ブッシュにもゴアにも大統領になって欲しいと思ってなかった、としています。その理由は、投票した人は全国の有権者のうち51%しかおらず、ブキャナンとラルフ・ネイダーがそこから3%の票を獲得したので、ブッシュとゴアはそれぞれ4分の1ずつからしか支持されていなかったとになる、というものです。これには、思うように投票ができなかった人達(黒人やパームビーチの人達)もいるので、実際の数字はわかりませんが、こう考えると、アメリカの大統領が本当に支持されているわけではないのではないかと思ってしまいます。
私は、このとき、テレビのインタビューで国民が、日本の首相について、「誰でも一緒」、「代わりがいないから」と答えていたのを思い出しました。ある人物がなってしまったら、それはそれでいいといった感覚に近いのかなとでしょうか。実際、私自身も、いまだ選挙に行ったことがないし(地元にわざわざ選挙をしに帰るわけにもいかないですし)、日本の政治構造を理解しているとは言えません。選挙で選べといわれても、誰が誰だか分かっていないのです。このことについては、反省すべきであると思うし、海外のことも興味はあるけれど、国内の政治にも関心を向けたいと思います。
話を戻しますが、現在のアメリカでは、こんな状態が一般的になっているといいます。多くのアメリカ人がその義務を果たさない理由は、候補者に本当の選択肢がほとんどなく、政治プロセスが国民の生活から乖離しているように思えるからだと著者は言います。ほとんどの有権者にとって候補者に関する情報源であるメディアは、本質的な問題を退屈な金の無駄遣いとみなし、選挙の進展と候補者の個性を夢中になって放送するし、地方テレビではもはや選挙問題を全く取り上げないのです。さらに、その広告の料金は選挙運動に莫大な経費がかかるおもな理由であり、だからこそ候補者は、実際の有権者との対話にではなく、裕福なスポンサーに資金援助を乞うことに、自分の時間の大半を費やします。集金能力は、今やアメリカで大統領に立候補するために何より重要な資格で、人口の4%にあたる最裕福層が、選挙運動の個人献金のほぼ100%をまかなっているともいいます。
候補者が大統領になれば、それを支援した人達は見返りを求めるわけで、彼らに都合のいいように政治が動いていきます。日本でも金をめぐる政治家の問題はよくありますが、政治をしようとする人々は、政治をすることが目的なのか、それともお金を集めることが目的なのか、疑問に思ってしまいます。もちろん、お金の為に仕事をすることが悪いとはいいませんが、自分だけでなく、国民や世界にまでも影響を及ぼすことをしようとしているということがどれだけすごいことか考えずともわかるはずです。それをただ、自分の財産を築きあげるためにされてしまったら、と思うと恐ろしいことです。
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2−9 心の植民地化
日本には、どれだけ「アメリカ」が入り込んでいるのだろう、と考えると、英語、マクドナルド、コカコーラ、映画、コンピュータ、などなど、たくさんのものが見つかります。今では、それが当たり前のようになっています。このような現象が、世界各地に広がっているといいます。グローバル化とはアメリカ化であると著者は言います。
グローバル化という言葉はよく聞きますが、そもそも、それがどういうものなの私には説明ができません。グローバリズムとは、「国際社会における相互依存関係の緊密化や通信手段の発達による情報伝達の加速化などにより,世界を国家や地域の単位からではなく,それらを連関した一つのシステムとしてとらえる考え方。地球主義。」と定義されています。調べてみても、さまざまな視点から捉えられていて、それがいいことなのか、悪いことなのかも一概には言えないようです。著者と同じように、グローバル化は一国主義だという意見もあります。これについては、先生に紹介していただいた「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」という本がとても気になっているので、今回のレポートには間に合いませんでしたが、また、読んでみたいと思っています。
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2−10 9.11をどう超えるか
9.11後、アメリカはテロに対する攻撃をしました。その後、イラクに対する攻撃をしました。その後、イランもしくは北朝鮮にも攻撃を与えるかと危ぶまれていましたが、今のところはその様子はありません。オサマビンラディンやフセインの生存・所在はいまだよくわかっていません。イラクでは、フセイン政権が倒れた後も、アメリカ兵は攻撃され、毎日のように死亡のニュースがあります。イラクに駐留しているアメリカ兵には、テロの恐怖で、精神的にも追い詰められているといいます。アメリカが、いったい何を目的としていたのか、少し疑問に思ってしまいます。
アメリカの軍事介入は、生き残った人々の心に憎悪を残し、報復テロの機会が増える。すると今度は、そのような報復を、更なる介入の言い訳にする、このような悪循環は続くだろうとも考えられます。このままでいいわけがありません。では、どうすればいいのでしょうか。このことについて、著者もムーアもチョムスキーも、するべきことは「立ち上がること」だと訴えます。私にできることは何か、世界を変えるなんて大きなことはできないけれど、真実を知り、いいように扱われる国民にならないようにはなれるかもしれません。そのためには、まだまだ知るべきことは多いし、新しい価値観、新しい視点でものごとをとらえることも大事かもしれません。これから、また、自分を鍛えて、国際理解に一歩でも近づきたいです。
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3.
おわりに
このレポートを書くにあたって、もっとたくさんの本を読みたいと思ったし、調べたいこともたくさんあったのですが、時間に余裕も無く、思ったようなことができませんでした。これから、卒論に関しても、自分なりのテーマを見つけていかなければならないのですが、世界は広すぎて、何を中心としていくか決めるのにも悩んでしまいます。しかし、せっかく与えられた機会ですから、自分の思うように学んでいきたいです。
先生には、今後ともお世話になると思いますので、どうぞ、宜しくお願いします。
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参考 マ−ク・ハ−ツガード 2002 『だからアメリカは嫌われる』 草思社
RELNET http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/news7.htm
森孝一 http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kmori/mori.nsf
その他 インターネット各HP
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