無料-
出会い-
花-
キャッシング
異文化理解最終レポート
国際刑事裁判所
尾崎 志保
教育学部学校教育課程3年1001018404
はじめに
今年、7月1日に発効された国際刑事裁判所設立条約(ローマ規定)が、どういうものなのかをこれまでの旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所、ルワンダ国際刑事裁判所、ニュールンベルグおよび東京で行われた軍事裁判と比べながら述べたいと思う。
また、授業でアメリカがいかに自分の都合のいいように振舞ってきたかということを知ったので、この国際刑事裁判所設立条約に対するアメリカの反応についても述べる。
・国際連合憲章
国際連盟規約は戦争の全面的禁止を定めることができなかったが、その後1928年の不戦条約で戦争を放棄し、全ての紛争を平和的に解決することが約束された。しかし、不戦条約の条文には、戦争違法化という見地からも、いくつかの問題点があげられていた。そのために国際連合憲章の成立にあたって、これらに十分留意しながら条文の作成がなされている。
まず、国際連盟規約と不戦条約で用いられた「戦争」という言葉は、国連憲章では全く使われていない。これは、宣戦布告をせずに武力を行使するのは、これらの条約で制限または禁止されている戦争にはならないと一部の国家によって主張されたからである。国連憲章はこのような、戦争の名を用いない武力行使を残さないために、「戦争」という言葉を用いず、「武力による威嚇または武力の行使(Threat or use of force)という表現をとっている。そして、武力行使の禁止について、国連憲章第二条三項と四項は次のように規定した。
「三項 すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和および安全ならびに正義を危うくしないように解決しなければならない。」
「四項 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使をいかなる国の領土保全または政治的独立にたいするものも、また国際連合の目的としない他のいかなる方法も慎まなければならない。」
したがって、国連憲章では、戦争という言葉を用いるかいないかに関わらず、すべての武力の行使および武力による威嚇は違法として禁止されている。しかし、同時に、国際連合は、その設立目的である集団安全保障機構としての役割を果たすため、「平和に対する、脅威、平和の破壊および侵略行為」に対して強制措置(制裁)をとりうるとして,憲章第七条でこの強制措置としての武力行使について定めている。
また、第五一条で、「個別的または集団自衛権」に基づいて武力を行使することは憲章に違反しないとされている。
これら、制裁としての武力行使、および自衛権に基づく武力行使の場合を除き、国連憲章では、他のすべての武力の行使は禁止されている。
国連憲章では国連軍の編成を含む集団的安全保障体制の整備が謳われたが、この安全保障理事会による安全保障にはいくつかの制限ないし、限界が伴っている。安全保障理事会が行動するには、まず理事会自身の決議が成立しなければならず、手続き事項(たとえば議題の採択、議事の運営等)については9カ国以上の賛成を、また実質的事項は5常任理事国すべてを含む9カ国以上の賛成を必要としている。(憲章第27条3項)。
後者の場合、たとえ9カ国以上の賛成があっても、米英露仏中の5常任理事国のうちひとつでも反対すれば、理事会の決議は成立しないことになる。これが拒否権である。そして、米ソ冷戦の発生に伴い五大国の強調が得られず、この拒否権がしばしば発動されたため、安保理事会の機能は麻痺することが多かった。これまで拒否権が発動されたのは、旧ソ連が125、アメリカ85、英国30、フランス、中国各20回。最多回数の旧ソ連が集中的に拒否権を使ったのは60年代で、アメリカがはじめて行使したのは70年代であった。
このように国連による集団安全保障機能が十分な働きができないのは、安全保障理事会の内部、つまり大国の意見対立が原因というのが一般的だ。
そもそも集団安全保障とは言ってもそれは既存の主権国家体制をそのまま認め、各国が独自に保有する武力の存在を肯定したうえで、それを集結して平和への挑戦にあたろうとするものに他ならない。それゆえ武力による強制措置を発動する場合にも、それは国家と国家の武力闘争、いわゆる対抗戦争(counter war)の性格をなくすことはできない。戦争を防ぐための戦争を起こさねばならないという自己矛盾をかかえた集団安全保障は、戦争参加国の増大、つまり対抗戦争の世界化をも招くことをその必然とする。特に、違反国が大国か、あるいは大国の支持を得ている場合には、国連による強制措置は世界戦争へと発展する危険性すら持っている。
・
戦争犯罪
戦争犯罪(war crimes)とは、もともと戦争法規に対する違法行為であって、それを行い、または命じた者を敵交戦国が捕らえた場合、これを処罰しうるものを意味した。戦争犯罪には(1)軍隊の構成員がする戦争法規違反、(2)軍隊の構成員以外の者がする敵対行為、(3)スパイおよび交戦国の支配地域内で敵国民または中立国民がする交戦に有害な行為(戦時反逆),(4)戦場で軍隊につきまとい略奪窃盗などをする行為の4種類がある。このうち、スパイと戦時反逆は,国際法上こうした手段を交戦国が用いること自体は禁じていないが、その行為者を捕らえた国は自国の刑法名当に基づいて処罰することが国際法上認められている。
戦争犯罪は、それが軍隊の構成員としてなされたものであっても、責任は行為者個人に負わされる。そしてこれら犯罪は、戦争犯罪人を捕らえた交戦国の国家法益の侵害とみなされ、第二次世界大戦までは、戦時中にのみ処罰ができ、戦時終了(休戦協定による実際の戦闘の停止)後は処罰されないものとされてきた。
それなのに第二次世界大戦終了後、連合国軍側は敗戦国側に対する戦争犯罪の処罰を行った。1949年に締結されたジュネーブ4条約では、戦争犯罪は条約にかかる重大な違反行為とそれ以外のものに区別され、前者として(1)4条約で保護される者(傷病者、難船者、捕虜、文民)に対する故意の殺人・拷問・生物学的実験を含む非人道的待遇、身体または健康に対して故意に苦痛を与え、もしくは重大な障害を加えること、(2)捕虜を強制して敵国軍隊で服務させること、および公正な正式の裁判を受ける権利を奪うこと、(3)文民を追放・移送・拘禁すること、強制して敵国軍隊で服務させること、および公正な裁判を受ける権利を奪うこと、および人質にすること等が規定された。
こうした従来からの戦争犯罪(戦争法規違反の戦争犯罪)に加え、第二次世界大戦後ニュールンベルグおよび東京で行われた国際軍事裁判においては、新たな戦争犯罪概念として「平和に対する罪」および「人道に対する罪」が創設された。そのため、現在では戦争犯罪という場合、それには戦争(武力紛争)法規違反の罪(伝統的な戦争犯罪)、平和に対する罪、人道に対する罪の三つを意味することになった。こうした新たな戦争犯罪が生まれたのは第一次大戦後の戦争違法化の流れを受け、侵略戦争は国際社会の一般法益を侵害する国際犯罪であり、国内裁判所ではなく国際社会が裁くべきであるとの意識がうまれたことによるものであるn。また戦争中におけるナチスドイツの残虐行為に対して、かかる行為は戦後においても処罰されなければならないという機運が高まったことも影響している。
その結果、1945年8月8日、英米仏ソ4カ国間に「欧州枢軸国の主要戦争犯罪人の訴追と処罰に関する協定(ロンドン協定)」が締結され、またその付属として「国際軍事裁判所条例(ニュールンベルグ条例)」も作られた。そしてこれに基づきこの4カ国の裁判官からなる国際軍事裁判所がニュールンベルグに設置された。この裁判で裁かれるべき戦争犯罪として、軍事裁判所条例6条は戦争違反の罪とともに、平和に対する罪、人道に対する罪の三つを上げたのである。
このニュールンベルグ軍事裁判所条例によると、平和に対する罪とは、「侵略戦争または国際条約・協定・保障に違反する戦争の計画、準備、開始および遂行、もしくはこれらの行為を達成するための共同の計画や謀議に参画したこと」とされ、これらの犯罪について個人責任があるものとして、裁判所が審理、処罰する権限を有するとされた。また人道に対する罪とは、「犯罪の行われた国の国内法に違反するか否かに関わらず、本裁判所の管轄に属するいずれかの犯罪の遂行として、またはこれに関連して行われたところの、戦前または戦争中にあらゆる一般住民に対して犯された殺人、奴隷化、強制的移送および他の非人道的行為、もしくは政治的・人種的または宗教的理由に基づく迫害」と定義された。これらの行為の中には従来の戦時犯罪に該当する物もあるが、戦争前の行為(但し、ニュールンベルグ裁判はこれを認めず、戦争中の行為に限った)や自国民に対する行為は、従来は戦争犯罪を構成していなかったものである。
日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判所は、46年1月19日連合国最高司令官マッカーサーの公布した極東国際軍事裁判所設置に関する命令に基づいて設置され、裁判官は米、英、ソ、仏、中、蘭、加、豪、ニュージーランド、インド,フィリピンの11カ国から構成され、そこで裁かれるべき戦争犯罪は、ニュールンベルグ国際軍事裁判所条例第6条屠同様の3類型とされた。
しかしながら、これら新たな戦争犯罪の概念については、国際法上疑わしいところが多い。まず、侵略戦争が国際法違反で、かつ国際犯罪であるという法理が当時確立していたかどうかである。不戦条約により自衛戦争を除く全ての戦争が違法化されていたとしても、さらに進んで戦争の犯罪性について、それまでの国際法上その点を明示した物は存在しなかった。自衛権行使の適否をだれが判断するのかという問題もある。また、仮に侵略戦争だとしても、侵略戦争に責任ある国家機関の個人責任を追及しうるか否かという問題があ る。従来の国際法の主体の観念からすれば、戦争は国家間の現象であり、その主体は国家であるから、責任は国家が負うべきで、その機関の地位にある人が責任を負うべきでないという考え方になる。(主権者無問責、国家行為免責の法理)。
また、平和および人道というこの二つの罪での処断は事後立法の処罰であって、罪刑法定主義原則に反する行為と言わざるをえないのである。しかも、裁判官の公平性についても、極東裁判所の11人のすべての裁判官も、すべて戦勝国側の国民のみであり、検察官も戦勝国側から選任されたのである。平和維持および人権保障に向けての動きそのものの方向性は肯定しうるとしても、第二次世界大戦直後に行われた二つの裁判自体は多くの法的問題をふくんでいた。
また、第二次世界大戦まではヒエラルキー組織の代表である軍隊という特性を考慮して,第二次世界大戦までは軍隊構成員の犯す戦争犯罪に対し、上官命令を理由にその責任が阻却されるとの考え方が強かった(上官命令による免責)が、現在では、たとえ上官の命令に従っての行為にあったにせよ、それが戦争犯罪を構成する以上は、その責任ないしは処罰は免れないとの立場が原則とされた。
他方、部下の犯罪行為に対する上官の責任については、従来、上官はすべての犯罪行為に責任を負うとの説と、自らが部下に命令した行為についてのみ責任を負うとの説があった。しかし、第二次世界大戦後の山下将軍裁判等の実例では、上官は命令した行為のみならず、部下の違反行為を黙認し,看過し、またはそれを制止しなかった場合にも責任を負うべきとの考え方が示され、第一追加議定書でも「上官が知っていたか、または当時の状況において上官がそう結論しうる情報を得ていた場合、および上官が違法行為の防止または制止のため自己の権限内にある全ての実行可能な措置を取らなかった場合」には、刑事責任または懲戒責を免除しないとしている。なお狭義の戦争犯罪および人道に対する罪については時効が適用されないとし、そのための立法措置等を講じることを要求する時効不適用条約(1970年)が成立している。
そして、国際法委員会は1951年に「人類の平和と安全に対する罪についての法典草案」を作成。54年には改定案を採択して総会に提出している。そこでは、第二条で「人類の平和と安全に対する罪」という新たな包括的戦争犯罪概念を打ち出してある。
その後、ジェノサイト条約およびアパルトヘイト禁止条約が作成され、これら非人道的行為を国際犯罪と規定し、それを犯した個人の処罰を要求している。
また、74年には侵略の定義が採択されたほか、国際犯罪の処罰を個々の国家に任せるのではなく、かつ、かつての国際軍事裁判所もその公平性の問題があったことから、常設の国際刑事裁判所を設置し、そこに裁判管轄権を付与すべきとの主張・検討がなされた。
そうして、旧ユーゴおよびルワンダ国際刑事裁判所が設立された。
・
旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所
安保理決議による設置
この裁判所は、条約の締結によって作られたものではなく、国連の強制措置の発動である国連憲章七章下の安保理決議によって設立されている。決議は、憲章第7章下の措置であるとするだけで、明示の根拠規定は挙げていないが、国連法務部は41条の非軍事的制裁措置を例示列挙と捉え、その一環と考えたようだ。報告書はICTYが安保理の補助機関であり、かつ司法機関としての独立も有するとしている。安保理の決定は憲章第25条により全加盟国に対する法的拘束があるため、加盟国は裁判所の任務遂行に協力する義務を負う。場所はオランダのハーグ。
憲章7条下の強制措置であることから、ICTYの活動は恒久的なものではなく、1991年1月1日以降、旧ユーゴの領土,領海、領空において国際の平和と安全が回復されたと安保理が認定するまで、任務を続ける暫定的なものであり、領域的・時間的機能が限定さ
れた特別法廷なのである。
人的管轄
個人の刑事責任を国際裁判所が設定するのは、国際法上個人の主体性を実現する点では画期的なものである。責任の内容については、被疑者の公的地位(国の元首または政府の長を含む)は、その者の刑事責任を免除せず、刑罰は軽減されないこと、上官がその部下が犯罪を行おうとした、または行った事を知りえた場合において、当該行為を防止するため又は当該行為を行った者を処罰するため、かつ合理的な措置を取らなかった時は、その上官の刑事責任は免除されないこと、被疑者が政府又は上官の命令に従って行動したという事実を持って、その者の刑事責任を免除しないが、裁判所は刑罰の軽減においてその事実を考慮できる。
優先管轄
国家元首までが逮捕・処罰の対象になっているのは主権免除の原則との関係で問題となるが、憲章第7条に基づく安保理の決定であるため、憲章103条(憲章義務の優先)により、規定の義務が優先する。国連加盟国はICTYに対する司法共同の義務を負う。
1949年ジュネーブ4条約の重大違反(規定2条)、戦争の法規・慣例の違反(規定3条)ジェノサイト(規定4条)人道に対する罪(規定5条)の4つに罪を訴追する。
罪刑法定義に従い、第二次世界大戦後のニュールンブルグ・極東国際軍事法廷の際のような事後立法はない。
裁判所の組織
ICTY は、裁判部、検察官、書記局の三機構で構成され(規定11条)、裁判部は、二つの第一審裁判部と、ひとつ上の上訴裁判部から成る(12条)。
裁判官は徳望が高く、それぞれの国で最高の司法官に任命されるのに必要な資格を有する者とし、安保理が提出する名簿の中からちだ総会が11名を選出する。任期四年で再選可能。
国連の国際刑事裁判所の試みは、どちらが悪いとして、国家に制裁を加えたり、どっちもどっちだという解決を着けるものではなく、あくまで個人の刑事責任を追及しようという動機に基づいている。したがって戦争中に残虐行為を行った軍人,司令官,収容所の看守、政策を指示したり、止めなかった政治家について、国籍、人種のいかんに関わらず、衡平な訴追・処罰が求められる。
戦後の二つの国際軍事裁判が、戦勝国による敗戦国への復讐、報復の名目とされた色彩が強いのに対して、国際刑事裁判所の理念は、戦争犯罪についても法の支配を及ぼし、戦争が終われば戦争中の個人の行いは、それで免責になるという考え事態を破棄し、「復讐の連鎖」を止めることを目的としている。
ルワンダ国際刑事裁判所
ICTRの適用法規は、国際慣習法として成熟されているとする、「集団殺害罪(ジェノサイト)」、「人道に対する罪」そして、未確立である「戦争犠牲者保護ジュネーブ条約共通3条」、および「非国際的武力紛争の犠牲者保護に関する第二議定書」の違反。
旧ユーゴ裁判所との違いは、国際慣習法に必ずしもこだわらず、罪刑法定主義を緩和して、内戦に関する国際法規を含む点。
当初、旧ユーゴ国際裁判所の管轄権を拡張して行う予定だったが、このままだと、単一の特設国際刑事裁判所に、常設司法機関の性格を与える恐れがあるということで、ルワンダ国際刑事裁判所が分離設立されることになった。ただし、旧ユーゴ国際裁判所と上訴審部、主席検事兼任と手続き・証拠規制がきょうようされる。したがって、ルワンダの合意なしに、ルワンダの刑事管轄権をICTRに移譲させる機能をもつ。
常設国際刑事裁判所の必要性
国際刑事裁判所(ICC)とは、ジェノサイド(特定の民族や集団に危害を加える集団殺害)や、紛争の起きている地域で拷問や虐殺を行った人など、戦争犯罪を犯した個人の責任を裁く裁判所で、歴史上初めてできる常設の国際法廷である。国際司法裁判所は、国家を主体とするのに対し、国際刑事裁判所は、個人の責任を追及する。この裁判所は人類史上初めて、国の主権超えて、人類の敵と呼ぶべき犯罪者を直接裁く画期的な機関である。
国際司法裁判所(既設)と共にオランダのハーグに、2003年に設置されることになっている。
「ホロコーストの悲劇を二度と繰り返すな」が第二次世界大戦が終わった直後の世界の共通の誓いであったが、戦後も様々な紛争が発生し、大量虐殺が起きて多くの人命が失われてきた。独裁者たちや武装勢力は大量レイプ、非合法処刑、そしてその他の人道に反する行為を実行し、そして全く裁かれることはなかった。
現在、これら人道に対する不法行為に対する国際社会の主要な対抗手段は禁輸などの各種制裁措置や多国籍軍による軍事介入であった。しかし、これらの手段は罪を犯した個人よりも、しばしば罪のない市民に被害を与える。国際法を犯したとされる個人を拘束することだけが国際社会に対する最悪の犯罪を効果的に扱うことができることになる。これは現在の犠牲者を助けること、そして未来の犯罪を防止することに決定的な効果がある。
世界の国々には国際法を犯した個人を扱う機能を持った裁判所は存在しない。国際刑事裁判所はそのような機能を持った裁判所となる。このような裁判所は他国を侵略しようとしたり、自国の市民を殺戮しようとする将来の独裁者の蛮行を思いとどまらせることができる。国際平和の維持もまた国際刑事裁判所の存在によって大きな利益を受ける。国連平和維持軍は紛争当事者の間に介在することによって、しばしば大量虐殺を止ることができる。しかし、わたしたちがソマリアやボスニアやルワンダ、ハイチ、そしてその他の地域で見てきたように、砲火が止んでも戦闘に駆り立てる憎悪は去ることはない。暴力の連鎖は永遠と続く。
これまで旧ユーゴ国際戦犯法廷やルワンダ国際戦犯法廷が設けられてきたが、これは一定の期間だけ対象国や地域を限定して開かれる臨時の国際法廷であった。今度国際刑事裁判所が常設されると、期間や地域に限定されず、重大な戦争犯罪や人道に対する罪に対して幅広く裁くことができる。ナチス・ドイツによるホロコーストや、ポルポト政権の大虐殺などのような犯罪が、今後発生しても国際刑事裁判所があれば、常時そこで裁くことができる。
国際刑事裁判所設立までの過程
第2次大戦後
|
ニュルンベルグ裁判と東京裁判で、「平和に対する罪」「人道に対する罪」「通例の戦争犯罪」について、主要戦争犯罪人が訴追された。
|
1948
|
国際連合は、国家、民族、宗教または人種集団の破壊を国際的犯罪であると規定するジェノサイド協定を採択した。
|
1950s
|
国連機関である国際法委員会(ILC)に、ニュールンベルグ原則の成文化と、国際刑事裁判所創設に関する草案を準備する権限が付与された。しかしながら、冷戦の始まりによって以後の進展は止まってしまった。
|
1989
|
トリニダードトバゴが、常設裁判所の提案を再び総会へ提出した(このときは、国際麻薬犯罪組織に対処するのが目的だった)。冷戦の終結と旧ユーゴスラビア内戦の勃発によって、この提案はより多くの注目を受けた。総会は、国際法委員会へ常設国際刑事裁判所設置草案の作成を勧告した。
|
1993
|
国連安全保障理事会は、旧ユーゴスラビア臨時戦争犯罪法廷を設置した。
|
1994
|
国際法委員会は、最終草案を第49回国連総会第6委員会へ提出し、全権外交会議の召集を勧告した。
総会は、草案の検証のためのアド・ホック委員会を設置した。
|
1994.11
|
国連はルワンダ臨時法廷を設置した。
|
1995
|
アド・ホック委員会は2週間の会合を行った。ほとんどの加盟国は常設国際刑事裁判所の設置を支持したが、一部の主要国は反対または態度を保留した。12月、総会は、1996年中に2回会合を行い外交会議へ提出するための教書を完成させるための準備委員会の設置を決めた。
|
1996.11.22
|
第51回国連総会第6委員会(法律関係)は、国際刑事裁判所設立のための条約を採択する外交会議について、1998年の開催を採択した。
|
1998.7.17
|
ローマでの1ヶ月間にわたる外交会議の末、設立条約を採択。
|
http://www.jca.apc.org/unicefclub/library/icc.htm
国際刑事裁判所は国際連合の設立時から構想されていた。それは第2次世界大戦後のニュールンべルグ国際軍事裁判と極東国際軍事裁判の経験を踏まえて、国際社会が常設の国際法廷を設置して将来の大量虐殺や侵略の発生を抑止する目的であった。しかし、この構想は東西冷戦によって数十年にわたって凍結された。
1990年代に入り冷戦が終結すると、冷戦後に頻発した民族紛争に対処するため国際社会は新たな手段を必要とした。そして、旧ユーゴスラビアやルワンダの紛争における集団レイプや大量虐殺といった重大な人道に対する罪を裁く臨時の国際犯罪法廷が設置されたことにより、常設の国際刑事裁判所設置の議論が復活し、急速に進展した。非政府組織(NGO)もこの準備過程へ積極的に参加し、国連や各国政府に対して様々な働きかけを行った。
1998年7月にイタリアのローマで国際刑事裁判所設立のための全権外交会議が開かれ、国際刑事裁判所設立条約(ローマ規程)が採択された。
国際刑事裁判所設立条約(ローマ規程)が発効するには60ヵ国の批准が必要であった。
国際刑事裁判所は国家主権の一部を国際機関に委譲することにもなり、各国とも国内法との調整の問題があり、発効には20年は要するという見方もあったが、NGO連合など市民社会からの強い働きかけもあって批准は順調に進み、2002年3月までに独・仏・英など56ヵ国が批准し、4月11日にボスニア、ルーマニア、カンボジアなど一挙に10ヵ国が批准し、要件を満たして7月1日に正式に発効した。9月に開かれる締約国会議を経て、活動を始める。
今後の動き
2002年4月11日の批准書の寄託により、ローマ規程は同規程第126条に従って2002年7月1日に発効する。この条項において「国際連合事務総長に第60番目の批准書、受諾書、承認書または加入書が寄託された日から起算して60日後の最初の月の第一日」に発効すると定められている。裁判所の管轄権は発効した日から適用され、しかし、同裁判所は重要な手続きや行政機関が機能し始める間、さらに12ヶ月間は事件の審議を開始することはできない。
今後ICCには第1回締約国会議と判事選挙がある。
2002年7月2日までに批准した国には4月11日以前に批准した国々と同じ権利が与えられる。この日までに批准した国は2002年9月3日から13日に予定される第1回締約国会議における十全な投票権が得られる。この会議において、締約国は判事および検事の指名と選挙にかかわるルールと手続きを決める。
2002年10月1日までに批准した国は裁判所判事を指名する資格を得ることがでる。選挙は2003年1月の第2回締約国会議で行われる。
「アムネスティ・インターナショナル」や「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」など人権擁護を専門領域とする15の非政府組織(NGO)で構成する「国際刑事裁判所を求めるNGO連合」は、そのプロセスについて警告を発してきた。裁判官の選任や裁判官の資質への信頼性が、裁判所の成功を左右する」と言われている。
法廷の設置を強く支持するヨーロッパ連合(EU)は、裁判所には刑法、国際法、人権法の高度な知識を備えた立派な裁判官や法律家が必要だとしている。総括検察官と少なくとも2人の補佐官に加え、裁判所には向こう2年間で100〜200人の職員が必要だ。人権団体は、裁判所が機能し始めてから5年後には、職員数が倍増するだろうと推計。この推計はそれぞれ400人と900人の職員を要したユーゴスラビアとルワンダのケースに基づいており、国際刑事裁判所の予算は2900万に達する可能性があるとしている。もっともこれに対し、北大西洋条約機構の加盟国が1999年の海外軍事行動に費やした費用は110億にも上る。
管轄対象となる犯罪
1.ジェノサイド
肉体的あるいは精神的な過度の苦痛を与える殺害、生存手段の破壊、堕胎、子女の連行など、全体的または部分的な破壊的意志を持って、国家、民族、人種あるいは宗教集団に対する特定の行為。
2.人道に対する犯罪
皆殺し、殺害、拷問、レイプなど、ある特定の住民に対して組織的に犯罪を犯す行為。
3.武力紛争に適用される法および慣習に対する重大な違反(戦争犯罪)
ジュネーブ諸条約および国際慣習法に対する重大な違反を構成する作為または不作為。捕虜の虐待、民間の人質、捕虜に対する医学的・科学的実験など
4.侵略
国連憲章または国際慣習法に反する武力による威嚇または行使。条約発行の7年後に開かれる再検討会議まで、定義(構成要件)の採択は見送られた
これらの犯罪については遡及効は否定されており、裁判所は、条約が発効した後に犯された犯罪についてのみ裁判管轄権を有している。事後立法はされないが、発効語の犯罪に時効はない。また、レイプなどの性犯罪は重大な犯罪を構成する行為に含まれる。
国際刑事裁判所の構造
現在の規程草案では、国際刑事裁判所は批准国より選出された18名の裁判官によって構成されることになる。裁判官達から交代で選出される裁判長、副裁判長が、検察官より提出された起訴状を検討する。もし起訴が承認されたならば、容疑者への逮捕状が発給され、5人の判事が裁判を行うために召集される。裁判官の選出にあたって、次の事を考慮しなくてはならない。@世界の主要な法制度を代表することA地理的に平等な代表制をもつことB男女の裁判官を公正に代表すること
被告人の拘引
起訴状のコピーが、被告人に対して事件に対する管轄権が及ぶと思われる諸国へ送付される。もし、これらの国々が、特定の国際犯罪に対する国際刑事裁判所の管轄権を認めたならば、それらの国々は条約に基づいて被告人を逮捕・拘引することになる。もし被告人を発見した国が、国際刑事裁判所の管轄権を認めない場合は、その国に対して協力を要請することになる。
告訴
告訴はICC検事局、ICC加盟国政府、国連安保理のみ。捜査するか否かの検察の判断は予審部の審査を受ける。予審部の決定は最終的。
被告人の権利
規程草案には、被告人の権利についてかなり詳細に定義している。これらは被告人無罪推定の原則、弁護を受ける権利、検察の承認を尋問する権利、迅速な公判進行の権利等を含んでおり、欠席裁判を受けることはない。また、子どもの権利条約により、子どもは起訴されない。
刑罰
刑罰は罰金刑か有期刑に限られ、終身刑が最高刑で死刑は科されない。
補完性の原則
国際刑事裁判所はその裁判権を行使するに当たっては、条約当事国の主権や国内裁判所における刑事裁判権の行使との調整が必要となる。
「補完性の原則」により、被告人の処罰は第一次的に当事国の国内裁判所に委ねるものとし、国内裁判所による刑事裁判権の行使が不可能である場合や行使しようとしない場合にのみ、国際刑事裁判所は裁判管轄権を持つものとされる。
このような「補完性の原則」は、国際刑事裁判所の検察官が捜査を開始するために条約当事国の申し立てを必要とするか、あるいは裁判所が裁判管轄権を行使するために関係当事国の同意をどの程度必要とするかという問題に影響を与えている。英国とチリで問題化したピノチェト裁判、旧ユーゴ紛争のミロシェビッチ被告など、個人や指導者の犯罪追及に国家主権と国際政治が複雑にからむことは否定できない。設立交渉でもそれが紛糾を招いた。訴追の第一責任を犯罪発生国や容疑者の所属する国とする原則に加え、国際法廷がこれを「補完」する立場にとどめたのはそうした妥協の結果でもある。
この裁判所には、問題がある。というのは、裁判所の権限としては、検察権まで含まれているから、証拠を調べて、起訴することは可能であるが、起訴すべき当事者を裁判所まで連れてくる----つまり、逮捕については機能がない。
裁判所を設置することは難しくないが、その裁判所に実際の権限を持たすには、司法を担保する警察権が必要だ。そして、残念ながら、今、世界は、国家における警察の役割を果たす機関を持っていない。強いてあげるなら、安保理の規定に基づいて編成される国連軍、あるいは多国籍軍が相当するだろうが、これも、大国の利害が優先する、臨時の組織以上のものではありえない。
本当に、国際刑事裁判所を実効性あるものにするには、裁判所とペアになった、国の枠組みを超えた警察権が必要である。しかし、その実現のためには、現在の国家主権という概念を超えなくてはならない。
日本は1998年のローマ会議に小和田国連大使を派遣して積極的に条約の採択に向けて各国間の調整に努力し、採択においては賛成票を投じた。また、国連での準備会合にも積極的に参加し意見を述べている。にもかかわらず、2001年12月の署名締め切りの時点になっても日本は署名しないで現在に至っている。
外務省担当者の見解によると日本は憲法9条との関係もあって有事法制(戦時法)が存在せず、その為に戦争犯罪を規定するジュネーブ4条約の国内実施措置は極めて遅れている。有事法制の制定がなされていない状況ではローマ規程を批准するには時間がかかる。
日本がICCに署名・批准できなかった理由は日本ではジュネーブ条約に対応する有事法制ができていないためであり、ICCの管轄する戦争犯罪は有事法制の第3分類に該当する。
例えば自衛隊が捕虜を捕らえた場合の取り扱いが定まっていない。その際に、非人道的に取り扱ったと(相手方に)考えられた場合、それは戦争犯罪と指摘される可能性がある。(日本の国内法に)従うべき法規がなくて、その人々(捕虜にした兵士)が国際法廷に引き出される可能性がない訳ではない。
このように有事法制がないために、本来ならば補完性の原則によって日本の国内裁判所で裁くべき日本国民(自衛隊員)を国内で裁くことができず、ICCへ引き渡さざる得なくなる可能性がある。
主権国家としてそのようなことはあってはならず、日本政府としては、まず戦争犯罪に関する有事法制を整備して、それからICC規程へ加入したいと考えている。これまで日本では有事法制の議論は半ばタブーになっており、実のところローマ規程の批准も見通しの立たない状況だった。しかし、9月11日の同時多発テロ事件以降、日本の安全保障を巡る状況は大きく変わった。事件後、早急に日本政府は米軍支援の為に自衛隊の海外派遣を決め、その為の立法措置も行った。
日本政府の考えとしては、有事法制の立法をしてその後にローマ規程の批准という流れと考えられる。ただし、2001年12月7日に米国上院が国際刑事裁判所への協力禁止法(「米軍要員保護法案」)を可決しており、この米国の露骨な圧力に抗して日本政府がローマ規程を批准するかは疑問がある。
以上のように日本政府の見解としては日本のローマ規程の批准のためには有事法制の立法が必要であるとしている。しかしながら、有事法制の立法を受けたローマ規程の批准は日本という国のありかたに関わる問題をはらんでおり、問題となっている。
国際刑事裁判所規程の調印期問は昨年十二月末で終了したが、日本政府は、批准の見通しが立たない限り調印はできないという立場で今日に至っている。国際刑事裁判所は、例外を除き国内裁判所が管轄権を行使している場合には、その管轄権を行使しないという「補完性の原則」に立っている。ところが日本は憲法で戦争を放棄していたため、例えば捕虜の待遇など国際人道法に対応する国内法が抜け落ちている。
国家よりも高いレベルの同裁判所の管轄権を認めることには多くの国が慎重であり、特に中国や米国は国家主権意識が強固で反対している。
日本では署名のためには内閣の承認が必要であり、批准には国会の承認が必要である。このため署名には法整備の調査が必要であり、また批准には法整備自体が必要となってくる。日本は法律的な問題点をあらかじめ調査し、批准の見込みを立てた上でなければ署名はしない方針なようである。例として、裁判所への情報や証拠の提供等の協力を定めた第87条(Requests for cooperation: general provisions)と容疑者の引渡を定めた第89条(Surrender of person to the
Court)が規定されていますが、日本の国内法では主権国家に対する情報提供や犯人引渡は可能ですが国際機関に対する規定はなく問題が生じてきます。
また、日本では国内法で適用されない犯罪の容疑者を引き渡すことはできないことになっている(双罰制の原則)。例えば、人道に対する罪に規定されているアパルトヘイト自体は国内法では(相手に物理的な損害を与えない限り)犯罪ではないので、原則的には国際刑事裁判所からアパルトヘイトの罪で起訴された容疑者を引き渡すことができないということになる。現行法では、主権国家への犯人引き渡しはできるが、ICCのような国際機関に対してはできない。
公明党は、結成大会基本政策大綱(98年11月)の中で、「国際刑事裁判所の創設推進」を明記。また、01年11月の全国代表者会議質疑では、神崎武法代表が、国際犯罪人を裁く国際刑事裁判所の創設などを強く提唱した。
さらに、今年2月の衆院本会議代表質問で神崎代表は「国際刑事裁判所の創設なども含め、あらゆる課題に国連とともに全力で取り組むことこそが、『人道大国』として、わが国がめざすべき方向」と訴えている。
アメリカの状況
米上院は2002年12月7日、国際刑事裁判所について、「海外派遣の米兵が不当に扱われる」と、米国政府の協力を全面的に禁ずる法案を可決した。下院はすでに同様の法案を可決しており、ブッシュ政権も支持の意向。対テロ戦線では国際協調を呼びかけてきたが、こうした犯罪を国際的な場で裁くための試みについては、自国の利害のために議会、行政府そろって反対している。保守派の重鎮ヘルムズ上院議員が、02年国防総省予算の付帯条項として提出した「米軍要員保護法案」で、賛成78、反対21で通った。
そこでは、訴追対象から米兵が除外される確約がない限り、国連の平和維持活動(PKO)に参加しない・米国領土での捜査活動は禁止・ICC条約を批准した国に対しては、共同訓練も含む米国の軍事援助を停止・米兵が戦犯容疑で拘束された場合、軍事行動を意味する「必要なあらゆる手段」を取る権限を大統領に付与する、などの強硬策が並べられている。
ICC条約は、英仏独など欧州主要国はそろって批准している。このため、「ヘルムズ法案は、米国への同盟国からの信頼を傷つけるもので、反テロ同盟の消失につながりかねない」(国連駐在の欧州外交官)などと警戒する声が出ていた。
ICC促進を進めてきた「ヒューマンライツ・ウオッチ」のリチャード・ディッカー法務担当は「オランダ・ハーグに置かれるICCで米兵が戦犯容疑の被告になった場合は、奪還のため『ハーグ侵攻』すら可能になってしまう」と話している。
ブッシュ政権はむしろ、国連安保理とリンクする旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷などの方式が継続されることを望んでいる。
自らを正義の基準とし、世界の警察官のごとく振る舞い、人権の擁護と戦争犯罪者の処罰に人一倍熱心だったアメリカがここへ来て、にわかに消極的になってきたのはなぜか。それは、この裁判所ができれば、アメリカ一国が正義を振りかざすというようなことができなくなり、場合によっては自らが訴追の対象になりかねないことに気づいたからだ。自らが訴追され、処罰されることなど思ってもいなかったのに、裁判所の設立でその可能性が現実のものとなるのである。
アメリカが今まで訴追の対象にならなかったのは、決して正義にもとる行為がなかったからではない。国際的な常設の裁判所や検察官がないので、強大な武力と経済力を持つ国アメリカの軍人や政治家を逮捕し、処罰したり、経済制裁を科したりすることが不可能であったからに過ぎない。アメリカは今後中南米諸国に独自に海兵隊を送ったり、単独で経済制裁を科すなどの身勝手な行動を正当化できなくなる。
日本の第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判所は、訴追されたのは日本の軍人だけで、日本側がいくらアメリカをはじめとする連合国軍の非道を訴えても、「この法廷は日本を裁くもので連合国を裁くものではない」の一言で退けられ、それに屈せざるを得なかった。当時このような常設の裁判所があったならば、我が国の軍人だけが捕虜虐待の汚名を着せられることはなかっただろう。
アメリカが主張している、国際刑事裁判所を国連安全保障理事会とリンクさせようという考え方は、司法を政治でコントロールしようとするものである。裁判所は全ての当事者(国家、国民)を平等に扱うものでなければならず、特定の国(安全保障理事会常任理事国)を特別扱いするような裁判所は裁判所の名に値しない。東京裁判が戦勝国による報復裁判、報復の儀式であったのと同様です。
国際刑事裁判所を設立するための条約案は、「裁判所は条約発効以前の犯罪については審理できない」と明記されている。この裁判所と比較することによって、罪刑法定主義を無視した東京裁判も見直されるのではないだろうか。また、今回の条約最終案では核兵器などの大量破壊兵器の使用が戦争犯罪の列挙から除かれたが、核兵器の使用が戦争犯罪であるという考え方が徐々に強まってきているようだ。連合国が一方的に日本を犯罪者として断罪した、東京裁判の見直しにもつながる。
この条約は7年後に侵略の定義も確定することになっているが、朝鮮戦争やベトナム戦争はどうなるのか。過去のことは処罰できないにしても、その意義は大きい。
米国の国際刑事裁判所への抵抗はコスト以外の問題に基づいているだろう。米政府は米国自身は免除され、米国が支配することのできる条約にしたがっているのだ。
国際環境条約や軍縮条約、子供の権利条約。米国は過去にこれらの条約から撤退しており、米国が自国の軍事的、政治的優位性を認める条約でなければ承認しないという、一方的なものだ。
米国が同意しそうな選択肢は、米国が拒否権を持つ国連安保理の下に国際刑事裁判所を置くというものだ。そうすれば、米国は常任理事国5カ国(米・英・中・仏・露)と非常任理事国10カ国の限られたメンバーで、捜査や起訴が必要かどうかを決めることができる。
米国は「国連安保理の下に位置する裁判所でなければ、米兵を裁判にかけることが国際機関の承認を得ることは絶対にないだろう」と言う。アメリカが支配できるようになったとき、条約に加盟する。それが米国の指導原理のようだ。
アメリカ側の考えをのべたワシントンタイムズの訳があったのでここに載せる。
ICCの問題点は多いし、また、それらは重大なものである。(国際刑事裁判所の)法廷は、署名国で起きた犯罪、また、犯罪がどこで起きようと関係なく、署名国の市民が犯した犯罪に対して、司法権が及ぶと主張する。ICCは、また、国連安全保障理事会がICC向きの事件だと言えば、そのすべての事件に司法権を有する。しかし、国連安保理といえども、加盟国の政治判断に従って動くことは言を待たない。条約の支持者は、ICCの権力が乱用されることはあり得ないと言う。なぜならば、ある国が自国内の法廷で裁くことができない、あるいは、裁こうとしない事案を取り上げるだけだからだという。しかし、それが最大の問題点の1つなのである。アメリカの裁判所が却下したいかなる事件でも、単に政治的な理由で、安保理は再び取り上げることができるからだ。
国際法廷は、米国の法律、特に、戦争犯罪の法律には以前から付けられている保障措置を適用したがらない。わが国の戦争法は、わが国の憲法にかんがみながら、ジュネーブ条約(戦時の傷病兵、捕虜、抑留者などの保護を目的にジュネーブで結ばれた条約。1950年に発効)を適用する。ICCはジュネーブ条約を超えて、他の「法律」を適用することができる。それらは、あまりにもあいまいで、米国人は服することはできない。例えば、兵士は、任務遂行に要する度合いを超えて意図的に環境を破壊したとして、裁判にかけられ、さらに、刑務所に入れられることもあり得る。兵士よ、たこつぼ壕(ごう)を掘る場所には気を付けたまえ。そして、近くで巣作りをしている絶滅の危機に瀕(ひん)している希少動物の邪魔など、ゆめゆめしてはならない。
ICC乱用の可能性は甚大である。ICCには何者に対しても説明責任がない。ICCは7月1日から活動を開始する。厄介なことに、米国がその条約を拒否していても、ICCは米国の兵士と政府の役人に対して司法権を有する、と主張されても仕方がない権限を有していることになっている。ブッシュ氏は、「2001年・ジェシー・ヘルムズ上院議員による米国軍人保護法」を使って運動するよう呼び掛けたらよい。これは、国連の任務で配備された米軍人に対して、ICCによる訴追が行われた場合には、免責請求ができるとしている点で、問題の部分的解決に役立つ。危険な場所に派遣される人たちは、ICCでの政治ショー的裁判から守られなければならない。
アメリカからすれば国際刑事裁判所はアメリカの今までの身勝手な行動をできなくするものであるから批准するわけにはいかないようだ。また、アメリカが今批准しないということは、これからも国際法に反するつもりだと言っていることに等しい。
国際裁判所のような国際機関により、安保理など今までの大国の優越が解消されることを望む。
授業の感想
この授業を受けることによって色々手段で情報を得ることと、その大変さがわかった。いままで全然理解できなかったこともチョムスキーの翻訳を質問しながら読むことで、パレスチナ問題について大まかに分かるようになった。この授業が私に与えた最も大きなものはアメリカという国にたいするイメージである。今まではなんとなく外国と言えばアメリカだったが、いまはそうは思わない。アメリカにはむかう者はあらゆる手段で制裁を受ける。アメリカは力をもちすぎた。
映画を見るときも、アメリカの身勝手さ。政府にはどんな裏があるかわからないという点が目に付くようになった。政府の力は大きすぎて一個人では抵抗できない。
今まで鵜呑みにしてきた情報の不確か性を授業で感じたのでこれからは、あらゆる方向から情報を吟味しなくてはならない。インターネットを使うと情報は無限にある。その中から本当に自分に役立つ物を探すのには苦労する。
参考文献
http://www2.asahi.com/international/kougeki/K2001120801283.html
http://www.kcn.ne.jp/~ca001/F3.htm
http://www.ipsnihongo.org/a05/14.html
http://mizushima-s.pos.to/lecture/2001/011107/011107_02.html
http://www.worldtimes.co.jp/wt/editorial/wd020512.htm
http://shinsho.shueisha.co.jp/toranomaki/011023/index.html
http://terasima.gooside.com/translation.html
http://www.jprn.org/japanese/project/shien/furusawaJ.html
http://www.issue.net/~sun/se/com20000123.html
http://www.issue.net/~sun/se/com20000105.html
http://www.jimmin.com/2002a/page_007.htm
http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~hirakawa/wthatsnew2000-2001.html
http://give-peace-a-chance.jp/yuji/opinion_sonota.html
『紛争解決と国連・国際法』西川 吉光著 晃洋書房
『戦争と国際法』城戸 正彦著 嵯峨野書院
[PR]動画