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月のウキギ
〜日系アメリカ人 強制収容の記憶〜
制作 ワビ・サビプダクション
(アメリカ1999年)
44分
<内容紹介>
エミコ・オオモリは、日系2世のアメリカ人だ。1942年、彼女の家族をはじめ、アメリカ西海岸に住む日系人は皆家を追われ、全米各地につくられた強制収容所に収容された。日本軍による真珠湾攻撃を受け、アメリカが日本に宣戦布告をしたため、西海岸に居住する日系人全員が軍事的脅威とみなされたからだ。エミコの父は日系一世で、母はアメリカで生まれ、日本で教育を受けて再びアメリカに戻った日系二世の帰米であった。この帰米と呼ばれる人たちをアメリカ政府は特に警戒した。帰米は、アメリカ人というより日本人に近いとみなされ、国家に対する忠誠心が疑われていた。国家への忠誠心を示すには、日系人で編成された戦闘部隊に志願すべきだとされた。一方、徴兵の対象とならない人には、質問形式で忠誠心を問う忠誠審査が行われた。この忠誠審査は1943年に実施され、17歳以上の日系人全員が受けなければならなかった。忠誠審査は、アメリカ国家への忠誠心の有無を政府が判断し、忠誠を示した人間を収容所から解放することを名目としていた。最初に行われた忠誠審査の質問文はすべて英語で、一世の多くは読むことすらできなかった。審査は、プラス・マイナス方式で評価された。例えば、キリスト教徒であればプラス2点、神道の信者はそれだけで不合格、日本語の読み書きが上手ければマイナス2点、というものであった。この審査の中で、日系人の誰もが困惑したものは、アメリカ軍への入隊の意志を問う27番と、天皇への忠誠心の放棄をさせる28番であったという。カリフォルニア州のトゥールレイク収容所では、全員が審査への回答を拒否するなど日系人からの抗議が続いた結果、政府は審査を中止した。後にこの収容所は、回答拒否者、28番にNOの者、日本への送還を希望する者を集めた隔離収容所となる。
ハワイの日系人たちは、強制移住も忠誠審査も行われず、そして、一万人近い日系人の若者が志願兵となった。一方、アメリカ本土の収容所からの志願兵の数は、政府の見込みよりはるかに下回っていた。そこで、1944年1月、収容所での徴兵が開始された。これに対し、ハートマウンテン収容所では、抵抗運動を行うフェア・プレイ委員会という組織が「憲法で保障された権利が回復されない限り徴兵には応じない」という主張をするなど、各地の収容所で抵抗運動が起きた。徴兵拒否した日系人は315人で、そのうち263人は有罪判決を受け、連邦刑務所に収監された。フェア・プレイ委員会の7人も全員有罪判決を受けるが、その後彼らは上告し、1945年12月29日、無罪を勝ち取った。1947年12月、トルーマン大統領は有罪となった徴兵拒否者全員に恩赦を与え、市民権を回復させた。しかし、日系人社会では、戦争へ行った者と拒否した者との溝が生じた。
<一口感想>
この作品では、戦争とアメリカ政府によってズタズタに切り裂かれた日系人社会の様子を知ることができた。日系人の強制収容について知識のない人にもわかりやすく、強く訴えかけるものがあるのではないかと思う。(玉野)
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